説教(オープンチャーチ講話)
『改革派教会とは』Ⅰコリント10:23-33
「改革派」という言葉は、政治的な文脈での革新的な党派を連想させます。あるいは革命を惹き起こす急進的な団体と誤解されることもあります。その度に「改革派教会」という名称の意味をよく説明し、理解を得てゆく努力をしなければなりません。個人の名前でも、ずいぶん難しいものがあり、今では表記も音読も、教えてもらわなければ分からない名前が少なくありません。まして名前の意味や由来は、こちらが関心をもって説明してもらおうと努めなければなりません。教会の名前は、個人の名前以上に歴史と内容があるものですから、けっして疎かにはできません。
「改革派教会」という名称は、十六世紀ヨーロッパで起こった宗教改革の原理を受け入れている教会、という意味ですが、より厳密には、ドイツの改革者マルチン・ルターに由来するルーテル教会と区別して、スイスの改革者ジャン・カルヴァンの伝統に属する諸教会の名称です。「改革」とは、けっして革命(被支配階級が支配階級を倒して政治権力を握り国家社会の組織や制度を根本的に変えること)ではありません。あくまでも「教会改革」であり、聖書を規範として、教会をより良くしてゆくという精神と実践を意味します。「改革派教会Reformed Church」という表記は、「ただ神の御言葉によってリフォーム(改革、改善、刷新)される教会」という意味です。
改革派教会は、スイスを発祥の地として、ドイツ、フランス、ベルギー、ハンガリー、ネーデルランド、スコットランド、アイルランド、イングランドと欧州各地に拡がり、新大陸のアメリカ、カナダにもたらされ、南アフリカへ、アジアのインドネシア、台湾、韓国、そして日本へと伝わりました。英語圏の諸地域では、教会の統治機構と政治形態に基づいて「長老派教会Presbyterian Church」という名称で知られます。長老制とは、一つの群れの中から選挙によって選ばれ、キリストの賜物をいただいた長老職が、複数の教会から招集され、会議を開催し、合議によって、一定地域の教会的事柄を決定し、運営してゆくという、代議員制度による教会統治の在り方です。長老派教会は、単立教会制を取らず、複数の教会が集まって、信仰規準(rule of faith)と教会規程(rule of church government)を定め、それに基づいて教派全体を統治し運営します。したがって、各個教会を治めるための会議のほかに、各個教会の代表が集まって開く会議があります。そこでは、幾つかの教会に共通の課題について協議され、討論され、決定されます。
改革派教会は、教理の側面では、カルヴァンの神学思想に立ち、教会政治の側面では、長老制を取る教会です。しかし、カルヴァンという特定個人を教祖として、絶対視することはありません。カルヴァンの思想の特色、その一つは聖書の規範に堅実に立脚すること、もう一つは神の主権的な恩恵を強調することです。二つを貫くものは、神にのみ栄光を帰する敬虔の精神です。これこそキリスト教の真髄であると言えます。
「長老主義」という教会政治の在り方も、その名称が与える古めかしいイメージや、年長者による奉献的支配のような誤解を招くかもしれません。長老主義は、聖書の指し示している教会政治のあり方です。キリストの霊的賜物によって支配される教会統治のやり方であって、人間的な年齢や経験や常識による支配ではありません。改革派教会すなわち長老派教会の歴史を学べば、この教会が聖書によって自己改革し、時代に対して新しい感覚をもって対応してきた教会であることが分かります。
ヨーロッパの改革派諸教会は、新大陸への移民によってアメリカにもたらされました。米国における英国系教会は「アメリカ長老教会American Presbyterian Church」と成りましたが、のちの南北戦争を契機として「南長老教会Southern A.P.C.」と「北長老教会Northern A.P.C.」に分かれました。オランダ系教会は「キリスト改革派教会Christian Reformed Church」をつくりました。日本に初渡来したプロテスタント宣教師(1859年、安政6年)のうち、フルベッキ、ブラウン、シモンズは米国オランダ改革派教会から、ヘボンは米国長老教会から、ウイリアムズ、リギンズは英国国教会(聖公会)から派遣された人々でした。
1872(明治5)年3月、日本初のプロテスタント教会として「横浜公会」が建てられました。その指導に当たったのが、米国オランダ改革派教会のバラ宣教師でした。横浜の教会員の多くは、ブラウン宣教師の英語塾に学ぶ青年たちでした。このように、日本におけるプロテスタント教会の伝統で最も古いものは、改革派教会によるものであったと言えます。英国の聖公会も、その信条は長老派系の信仰告白に属するものでした。聖書の規範に立脚し、その教理を忠実に実践しようとする改革派・長老派の諸教会を、神は用いられました。日本において、改革派・長老派の伝統は、「日本基督一致教会」に受け継がれました。これは「横浜公会」と「長老教会」とが合同したもので、1877(明治10)年から1890(明治23)年まで続き、その後もなお発展し「日本基督教会」と成りました。
日本基督教会は、第二次大戦(太平洋戦争)前まで、日本最大のプロテスタント教派として、神学・伝道・教会形成において指導的役割を果たし、優れた指導者たちを輩出しました。その中心的人物こそ、植村正久牧師でした。日本基督教会は、広い意味で、改革派・長老派の伝統に立っていましたが、その理解には幅がありました。前身である日本基督一致教会は、横浜公会と長老教会との合同の結果でしたから、長老主義政治の確立を主張する長老教会に対し、横浜公会は超教派的合同主義を基本原理としました。日本基督一致教会はまた、信仰規準としてウエストミンスター信仰告白と大小教理問答(英国長老教会系)と、ドルト信条およびハイデルベルク信仰問答(オランダ改革派系)とを採用していました。しかし、1890(明治23)年、日本基督教会の発足とともに、これらの諸信条を廃止し、代わりに、使徒信条に前文を付した簡易信条を採用したのです。その立場は、広い意味での改革派伝道に立つ福音主義、というべきものでした。
1937(昭和12)年、日中戦争が勃発し、日本の政治はますます軍国主義的傾向を強め、国家権力による統制は露骨に言論や思想にまで及びました。宗教も例外ではなく、日本のキリスト教会はそれぞれ、その信仰の立場を明確にすることを迫られました。教会は試練を受けることによって、信仰の真偽を試されます。あるものは時代の趨勢や風潮に迎合して、いち早く、「日本的キリスト教」と呼ばれる混合宗教を提唱しました。大多数のクリスチャンは敬虔を保とうとしました。しかし敬虔からくる穏健さのためか、結果的には、生活の上でも、教理の上でも、妥協的になり、教会が背教的に陥ってゆくのを止めることはできませんでした。
「日本キリスト改革派教会」を作ろうという動きが、実際に始まったのは、戦争末期から戦後にかけてのことです。国家の思想統制に対して、とめどもなく妥協してゆくばかりの教会を何とかしなければならない、という危機感を持った牧師や信徒の群れは、どの教派にもあったはずです。「日本基督教会」の中では、十数名の比較的若い牧師たちの運動がありました。それは、正統的な改革派神学を学び、これを解明し、それを日本の教会に定着させようとする運動でした。すなわち、教会が国家権力から完全に独立した存在であり、イエス・キリストの主権に服する自律的な団体であること。日本国民であるがゆえに国家神道を受け入れなければならない義務はないこと。天皇や神社を拝礼することは偶像崇拝の罪であること。これらを明確にしたいという、切なる願いによる運動でした。今日から見れば、極めて当たり前のことですが、日本国憲法の成立発布前の戦時下において、そのような立場を貫き通すことは、容易ではなかったのです。
日本キリスト改革派教会は、1946(昭和21)年4月に創立されました。それは、敗戦後に与えられた宗教の自由によって実現したものに過ぎず、戦時中の国家に対する抵抗の末に自らの手で勝ち取ったものとは言えません。戦後の教派であっても、戦争中の妥協や背教の罪と無関係ではありません。だれも、自分だけは潔白である、とは言えません。戦後の自由な時代に形成された教派、それに属する諸教会は、二度と同じ過ちを繰り返さないという責任を、神の前に負っていると言わねばなりません。時代はどんどん変わってゆきます。その中にあって、変わることのない、しっかりした教会を建てたいと、私たちは心から願います。改革派教会とその信仰の在り方は、歴史の風雪に耐えてきたものであり、その価値は認められたものです。このような使命感がなければ、改革派教会を日本に建てることは、けっして容易ではありません。
日本キリスト改革派教会が創立された時、内外に向かって、教会の戦争責任を告白し、悔い改めのしるしとして、国家からの独立自治を主張する「創立宣言」を表明しました。改革派教会とはどんな教会なのかを知る道として、歴史的に価値のある優れた文書です。
※出典:「改革派教会とは」『安田吉三郎著作集Ⅳ―神学論文1』いのちのことば社
日本キリスト改革派太田教会は、今ここで、創立宣言の冒頭部分を朗読唱和します。創立者の悔い改めの表明を、私たちの教会改革の礎石とするために。
『創立宣言』公認現代語訳
<序言>
終戦後すでに九か月、敗戦祖国の再建はさまざまな構想と方法とによって計られているとはいえ、聖書に「主御自身が建ててくださるのでなければ/家を建てる人の労苦はむなしい。/主御自身が守ってくださるのでなければ/町を守る人が目覚めているのもむなしい」(詩編127:1)とあるのは真実です。宇宙と人類を統治しておられる全知全能、聖さと愛のきわみである神を信じるのでなければ、国家がよく建てられ、よく保たれることはありません。
<主張の第一点:有神的人生観・世界観>
このたびの大戦においては、信教の自由ははなはだしく圧迫され、わたしたちの教会もゆがめられ、真理は大胆に主張されませんでした。わたしたちはこのことを神の御前に恥じ、国のために憂えています。しかし歴史を支配しておられる神の摂理により、信教の自由はついに敗戦を通して祖国日本にもたらされました。
今後、より良い日本の建設のために、わたしたちは誠心誠意、歴史の支配者、全能かつ善のきわみである神の御心にかなう者とならなければなりません。その戒めのとおり神を敬い、隣人を愛し、ただ精神文化面だけでなく、「食べるにしろ飲むにしろ、何
をするにしても、神の栄光を現す」(Ⅰコリント10:31)ことを最高の目的としなければなりません。
この有神的人生観・世界観こそ新日本建設の唯一の確かな基礎であること。これが日本キリスト改革派教会の主張の第一点であり、わたしたちの熱心はここにあります。ただし、真正な宗教だけが国家の基礎、文化の根底であるとは、国の政治や文化活動そのものを宗教的権威の支配下に置くべきとすることではありません。とくに地上の政権と宗教との関係について、わたしたちは政教分離原則を近代国家の知恵、また聖書の教えにかなうものと信じ、信教の自由、教会の自律性を重んじます。
祈り―詩編73による
愛しまつる主イエスよ、あなたはまことに、恵み深い御方、心の清い人たちに対して。慕いまつる神の御子よ、それなのに私は危うく足を滑らせ、歩みを踏み誤る所でした。崇めまつるキリストよ、邪悪で高慢な者が安泰、苦しみもなく、永久に財をなします。仕えまつる平和の君よ、あなたのように心を清く保ち、潔白を示した私は打たれます。聖霊よ、あなたは私と共におられます。あなたの計らいが私を守り導いて下さいます。御父よ、あなたを逃れ場とし、私は語り伝えます。あなたのそば近くこそ幸いなりと。主の御名によって祈ります。アーメン